東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)79号 判決 1982年11月11日
原告
丁慶一
右訴訟代理人
床井茂
同
横田俊雄
同
藤谷正志
被告
法務大臣
坂田道太
被告
東京入国管理局主任審査官
吉田茂
右指定代理人
小林芳衛
被告両名指定代理人
榎本恒男
外三名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1の事実<編注・退去強制令書発付に至る経緯>については、当事者間に争いがない。
二そこで、本件裁決及び本件令書発付処分が違法であるとする原告の各主張について順次検討する。
1 裁量権の範囲逸脱又は濫用について
(一) 原告は、原告に在留特別許可を与えなかつた本件裁決には裁量権の逸脱ないし濫用の違法があると主張するのに対し、被告両名は、令四九条の規定に基づく異議申出に対する法務大臣の裁決と令五〇条の規定に基づく法務大臣の在留特別許可とはそれぞれ別個の処分であり、在留特別許可を与えなかつたことが裁決の瑕疵となるものではないと抗争するので、まずこの点について判断する。
確かに、令四九条の規定に基づく異議申出についての理由の有無の判断と令五〇条の規定に基づく在留特別許可の許否の判断とは、一応区別して考えることができるが、令五〇条の規定によれば、在留特別許可の許否の判断は異議申出についての裁決に当たつてなされるものであり、法務大臣において異議申出が理由がないと認める場合でも、在留特別許可を与えることができ、異議申出が理由がない旨の裁決は、在留特別許可を与えない場合に行われるものであるから、在留特別許可を与えなかつたことに違法が認められる場合には、右許可を与えることなく異議申出が理由がないとする裁決も結局違法性を帯びるものとして、その取消しを求めることができると解すべきである。そして、この場合には、右違法な裁決に基づきなされた退去強制令書発付処分もまた違法というべきである。
(二) そこで、本件において在留特別許可を与えなかつた法務大臣の判断が違法であるか否かについて判断する。
(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
原告は、昭和二二年本邦に入国した後、朝鮮第一初級学校を経て東京朝鮮中高級学校中級部を卒業し、その間朝鮮語、韓国の歴史等の教育を受け、更に同高級部に進学したが、高級一年で中途退学した。その後、原告は、父の家業である古物商の手伝いなどをしていたが、昭和四一年一一月三〇日韓国人金弘子と婚姻し、同女との間に長女丁洋州(昭和四二年一一月九日生)、長男丁鑑和(昭和四五年七月二日生)の二子をもうけたものの、妻金弘子が大病を患つて入院していた昭和四八年夏ころ、韓国人南春子と知り合い、同年一一月ころから同女と同棲生活に入り、その後同女との間に丁鍾安(昭和四九年五月九日生)、丁美麗(昭和五一年六月二二日生)の二子をもうけた。原告は、金弘子及びその間の二子とは同女の退院後も別居を続け、同女に南春子との関係が知れて離婚調停の申立てをされるなどしたが、円満に解決しないまま南春子と内縁関係を続けている。原告は、昭和四三年ころ、父の手伝いを辞めて金融会社に勤務し、その後昭和五三年二月六日に逮捕されるまでの間、独立して金融業に従事したり、鉄屑の回収等を扱ういわゆるスクラップ業に従事するなどして生活の糧を得ていた。原告は、本件令書発付処分を受けた後、大村入国者収容所に収容されていたが、昭和五四年一〇月仮放免となり、その後は、父丁徳初が購入したマンションである現住居に南春子及び同女との間にもうけた二子とともに居住し、父の家業である古物商を末弟とともに手伝つている。原告は、前記のとおり、朝鮮語の正規の教育を受けており、朝鮮語による日常会話、手紙のやりとり程度の読み書きには不自由しない。韓国釜山には、父方の祖母、叔父二人、叔母二人が在住しており、その生活振りは、裕福とはいえないが、さほど苦しくもない状況にある(原告が昭和二二年本邦入国後朝鮮第一初級学校を経て東京朝鮮中高級学校中級部を卒業したこと、その後父の家業である古物商の手伝いなどをし、昭和四一年一一月三〇日韓国人金弘子と婚姻し、同女との間に長女丁洋州(昭和四二年一一月九日生)、長男丁鑑和(昭和四五年七月二日生)の二子をもうけたこと、昭和四八年一一月ころから韓国人南春子と同棲し、同女との間に丁鍾安(昭和四九年五月九日生)、丁美麗(昭和五一年六月二二日生)の二子をもうけたこと、現在父の家業である古物商を手伝つていることは、当事者間に争いがない。)。原告は、昭和五〇年初めころ、その当時インテリアファッションを学ぶために我が国に留学中であつた韓国人李姫と知り合い、同女から引き続き二、三年ほど本邦に在留したい旨の相談を受け、そのためには、日本人との婚姻を偽装することが有効な手段であると告げられたことから、同女の希望をかなえてやろうと思い、知人に対し戸籍上限りの夫となることを承知してくれる日本人を探してくれるよう依頼していたところ、昭和五〇年七月ころ同人から日本人菊池博を紹介されたので、菊池に金五万円を渡してその了解を取り付けて、同年九月菊池及び李姫の両名につき同一住所に転入届けを出した上、同年一〇月二〇日台東区役所において菊池と李姫の婚姻届けを行つた。李姫は、昭和五一年五月二八日になつて、再入国許可を受けた上一〇日間くらいの予定で韓国へ帰国したが、期間内に本邦に再入国することができなくなつてしまつた。その後、原告は、李姫からの手紙を受け取り、同女が再び本邦に入国するために原告に協力を求め、上野駅付近の旅行社に赴き同社の社長と会つてくれるよう願つていることを知るや、同年一一月末ころ同人を訪ねた。原告は、同人から、李姫を本邦に入国させるには、夫が戸籍上の妻である李姫に会うために本邦と韓国との間を往来したという既成事実を積み上げることが必要だと聞かされたため、原告自身が李姫の戸籍上の夫菊池博になりすまして韓国にいる李姫を訪ねて本邦と韓国との間を往来したという実績を作出しようと思いたち、それが法律上許されないものであることを知りながら、あえて同年一二月一四日自らの写真を添えた上、右旅行社を通じて日本人菊池博名義の数次往復用の旅券の発給を申請し、同月二二日その発給を受けてこれを受領した。原告は、昭和五二年五月一七日右旅券を使用して友人と共に香港へ向けて出国し、香港からの帰路韓国に立ち寄つて李姫に会うことを思いたち、同月一九日韓国に李姫を訪ね、翌二〇日韓国から羽田に上陸して本邦に入国した。同年八月二三日、原告は、友人と共に前記旅券を使用して再度韓国に李姫を訪ね、その後香港を回つて同月二七日香港から羽田に上陸して本邦に入国した。更に、同年九月二〇日、原告は、前記旅券を使用して、韓国に向け本邦を出国し、韓国では李姫と会つたり、祖母や叔父ら親族を訪ねたりし、また、当時本邦からの墓参団に参加して韓国を訪れていた南春子と釜山で待ち合せをするなどした上で、同年一〇月一日韓国から羽田に上陸して本邦に入国し、更にまた、同年一二月二二日前記旅券を使用して韓国へ向けて出国し、韓国では、大病を患つて手術をした李姫を見舞うとともに、同女に対し本邦へ再度入国することは諦めるよう告げた上、翌二三日韓国から羽田に上陸して本邦に入国した(原告が日本人菊池博名義の数次往復用の旅券の発給を受けて、これを使用して、昭和五二年五月一七日香港へ向け出国し、同月二〇日韓国から羽田に上陸して本邦に入国し、同年八月二三日韓国へ向け出国し、同月二七日香港から羽田に上陸して本邦に入国し、同年九月二〇日韓国へ向け出国し、同年一〇月一日韓国から羽田に上陸して本邦に入国し、同年一二月二二日韓国へ向け出国し、同月二三日韓国から羽田に上陸して本邦に入国したことは、当事者間に争いがない。)。
本邦で居住する原告の両親は古物商を営むとともに不動産を所有し、弟二人もそれぞれ職業を有し、妹二人は他家に嫁いでいる。また、内妻の南春子の父は、アパート、喫茶店、貸倉庫等を営んでいる。別居中の妻金弘子の実家はパチンコ業を営み、同人も生活には困らない状況にある。
(2) 以上の事実及び争いのない請求原因1の事実関係に基づいて考えるのに、原告は本邦で生まれ、既に昭和五年当時から本邦に定住していた両親に育てられ、物心もつかない二歳から四歳にかけてわずか一年余りを韓国で過ごしたことを除けば一貫して本邦に居住しているものであり、本邦で婚姻して二子をもうけ、更に妻と別居し内妻との間にも二子をもうけている上、両親、弟妹という近親者は皆本邦に居住しているのであつて、原告の生活基盤は本邦にこそ存するのであつて他にはなく、したがつて、原告は正に本邦に定着している状況にあることは明らかであるところ、原告に対する本件令書発付処分がいつたん執行されるならば、本邦において築かれた原告の生活基盤は一挙に失われることになる。しかも、原告は韓国人であるとはいえ、幼少時一年余りを除き、韓国に居住したこともないことからすれば、今後韓国において新たに自らの生活を切り拓くことについては相当の努力を強いられ、実子らを初めとする近親者との共同生活にも影響を受けることが明らかで、本件裁決及びこれを前提とする本件令書発付処分が原告に対しかなりの苦難を与えるものであることは、容易に想像できるところである。
しかしながら、他方、原告は小、中学校において朝鮮語や韓国の歴史等の教育を一通りは受けているのであつて、朝鮮語による日常会話、手紙のやりとり程度の読み書きには不自由しないうえ、本籍地である韓国釜山には、父方の祖母、叔父、叔母らが在住し、その生活振りは裕福とはいえないまでもそれほど苦しくもない状況にあるのであり、更に、経済的には父丁徳初からの送金等による援助も可能であつて、以上の諸事情に照らせば、成年男子たる原告が、祖国に帰ることにより直ちにその生存を脅かされるものということは到底できない。そしてまた、原告が、送還された後においても、所定の手続を経て本邦に再び入国することは不可能ではなく(ただし、出入国管理及び難民認定法五条一項九号の規定により、退去強制後一年間は入国拒否の対象となる。)、原告の近親者において本邦を出国し原告の許に赴くことについても、何らの法的障害は存しない。更に、本邦に残される原告の親族、内妻にも、生活の不安はない。
加えて、原告には過去において本邦に不法入国し在留特別許可を与えられたという経歴があり、また、原告の本件出入国についてみるに、日本人菊池博名義の旅券の発給を不正に受けた上、これを使用して、四回にもわたつて不法出入国を繰り返したものであり、右旅券の発給を受けたそもそもの動機は、韓国人李姫を本邦に不正に入国させることにあり、わずか八か月余りの間に四回にわたつて本邦を不法出国し、しかも毎回韓国に李姫を訪ねたという原告の本件出入国の目的は、それが唯一のものではないにせよ、李姫を本邦に不正に入国させるための実績を作出することにあつたとみるのが自然であつて、原告の右所為は当初の企図に沿つた計画的なものとして、正にわが国の出入国管理行政の根幹を揺がす極めて悪質な所為であるといわざるを得ない(なお、<証拠>によると、原告が自己名義の旅券及び再入国許可を得て適法に出入国することが不可能に近い状態にあつたものと認めることはできない。)。
以上の諸事情を総合して考えれば、原告に在留特別許可を与えなかつた被告法務大臣の判断は、原告にとつては厳しいものではあるが、いまだそれが人道に反し社会通念上著しく妥当性を欠くものであるとはいえないというべきである。日韓の歴史的特殊事情、原告及びその両親の在日歴を考慮してもなお、右結論を左右することはできない。
(3) 原告は、在日朝鮮人の特殊な歴史的背景に照らし、在日朝鮮人については日本人に準じて扱うべきであり、したがつて在留特別許可についても在日朝鮮人に対しては原則としてこれを与えるという行政先例法ないし行政基準が形成されている旨主張する。
なるほど、<証拠>によれば、韓国・朝鮮人に係る昭和四八年から昭和五五年までの令四九条の異議申出既済件数七、一九五件のうち約八六パーセントに当たる六、一八一件について在留特別許可が与えられていることが認められ、また、<証拠>によると、本邦に親族を有する不法入国者には在留特別許可が与えられやすい傾向の存することがうかがえるが、右許可が各事案ごとに諸般の事情を総合的に検討して個別的に決定される性質のものであつて、右許可を拒否された韓国・朝鮮人の絶対数もかなりの数に上ることに徴すると、右事実から直ちに原告主張のような一般的な行政先例法ないし行政基準が形成されていると認めることはできない。
(4) 更に原告は、インドシナ難民対策の拡充・強化についての昭和五四年七月一三日の閣議了解によるインドシナ難民の定住許可条件との比較においても、原告に対しては当然に在留特別許可が与えられるべきである旨主張する。
しかしながら、右閣議了解は、人道的見地からするインドシナ難民救済についての国際的規模における役割分担を果たすために採用された特殊でかつ応急的な施策であつて、原告が右施策の直接の対象とならないことはもちろん、原告をインドシナ難民に準じて扱うべきことを法律が要請していると解すべき根拠はないというべきである。
(5) 以上のとおり、被告法務大臣が原告に対し在留特別許可を与えなかつたことにつき、裁量権の逸脱ないし濫用の違法があつたとはいえない。
2 確立された国際法規及び憲法三一条違反について
(一) 原告は、国際規約が「確立された国際法規」に当たるものとして、その違反を種々主張するが、右規約が本件裁決当時において「確立された国際法規」に当たるか否かの点はさておき、原告の各主張につき順次検討する。
(1) 原告は、国際規約一二条に規定する居住の自由の侵害を主張するが、右主張は、原告が「合法的に」日本の領域内にいる者であることを前提にしている点で失当というべきである。すなわち、令の規定によれば本邦に適法に在留する外国人がその在留期間の満了の日以前に従前の在留資格に基づいて本邦に再び入国する意図をもつて出国しようとするときは、法務大臣の再入国の許可を得なければならないものとされている以上、本邦に適法に在留していた外国人が法務大臣による再入国の許可を得ないで出国したときは、本邦における従前の在留資格は当然に消滅するものと解するほかはなく、原告の主張する事情をもつて右解釈の例外を認めることはできないものである。したがつて、原告については、原告が昭和五二年五月一七日香港へ向けて出国した時点で本邦における在留資格は消滅したというべきであり、その後に有効な旅券を所持しないで入国した原告は「合法的に」日本の領域内にいる者とはいえない。
(2) 原告は、国際規約一三条の規定によれば、「合法的にこの規約の締約国の領域内にいる外国人」を国外に追放する場合には、合理的な追放理由を法律で具体的明確に規定しておく必要があるところ、本件令書発付処分は実質的には在留期間の更新を拒否して原告を国外に追放する処分であるにもかかわらず、更新拒否についての明確な基準が法定されていないと主張する。
しかしながら、国際規約一三条違反をいう原告の右主張は、原告が「合法的に」日本の領域内にいる外国人であることを前提としている点で、前記と同様失当であるばかりでなく、前記のとおり原告の在留の資格は出国の時点で消滅しており、本件令書発付処分は令二四条一号を理由とするものであるから、原告の右主張は採用できない。
また、原告は、国際規約一三条に規定する「自己の追放に反対する理由を提示する」権利の内容として原告の本邦における在留歴、家族関係等の自己に有利な事情を提出する機会が保障されており、右保障内容は憲法三一条によつても基礎づけられるところ、本件退去強制手続においては、原告に対して右のような事情を提出する機会が与えられなかつたとして右各法条の違反を主張する。
しかしながら、<証拠>によれば、原告が口頭審理及び異議の申出の際、原告に有利な右諸事情について主張する機会が与えられ、かつ、現実にこれを主張したことが認められるのであつて、原告の右主張は理由がないというほかはない。
(3) 原告は、国際規約七条の違背を主張するが、前記1の(二)の(2)で述べたとおり、原告が韓国に強制送還されることにより直ちにその生存を脅かされるものということは到底できず、右送還をもつて非人道的取扱いということはできないから、原告の右主張は失当である。
(4) 原告は、国際規約二三条一項、世界人権宣言一六条三項、国際連合憲章及び国際赤十字第一九回国際会議決議を援用し、現代国家は家族が同一国において生活することを保護し、離散家族を生じさせないようにすべき義務を負つており、このことは「確立された国際法規」であるというべきところ、原告が韓国へ強制送還されることにより家族の離散を余儀なくされるから、本件裁決及び本件令書発付処分は確立された国際法規に違反する旨主張する。
国際規約二三条一項及び世界人権宣言一六条三項は、家庭が社会の自然かつ基本的な集団単位であつて、社会及び国の保護を受ける権利を有することを宣言しているが、これらの規定が国家の本来有する外国人の入国及び滞在に対する拒否権を制限し、およそ家庭を有する者の追放を禁止するものと解することは到底できない。また、国際赤十字第一九回国際会議決議は、非政府団体による決議で国家を拘束する効力を持つものではなく、戦争、内乱その他の事件の結果生じた離散家族が再会することを容易ならしめるよう各国赤十字社及び政府に要望したもので、本件のような事案をその対象に含むものではない。その他、家庭を有する外国人に対する強制退去を制限する「確立された国際法規」の存在を認めることはできず、国家は公共の秩序又は安全の維持のため右のような外国人に対しても退去強制の権利を有するものというべきである。その上、前記1の(二)の(2)で述べたとおり、原告が、送還された後においても、所定の手続を経て本邦に再び入国することは可能であり、また、原告の近親者において本邦を出国し原告の許に赴くことについても、何らの法的障害は存しないものであることに照らすと、原告の右主張には理由がないものといわざるを得ない。
(5) 原告は、難民の地位に関する条約が「確立された国際法規」に当たるとした上、韓国の反共法二条、三条の規定を引用し、原告が思想信条において社会主義国家である朝鮮民主主義人民共和国を支持し、その在日朝鮮人団体ともいえる在日朝鮮人総聯合会に参加しているものであることから、右各法条により懲役刑に処せられるおそれがあるとして、右条約にいう「難民」に該当するのであるから、このような原告を国外に追放する内容の本件裁決及び本件令書発付処分は、確立された国際法規に違反するものである旨主張する。
右条約が「確立された国際法規」に当たるか否かの点はしばらくおき、原告が右条約にいう「難民」に当たるかどうかにつき検討してみるに、前掲乙第六号証及び証人丁徳初の証言によれば、原告が昭和三九年ころ在日朝鮮人総聯合会の下部団体に参加していたことが認められるが、しかし、その後も引続き右団体に参加していたのかどうかは明らかでない上(乙第四号証で、原告が東京入管入国審査官に対し、在日朝鮮人総聯合会に加入し活動したことはない旨供述していることからすれば、少なくともここ十数年同会の活動はしていないことがうかがえる。)、<証拠>によると、原告は、本件退去強制手続中、入国警備官による違反調査、入国審査官による審査、特別審理官による口頭審理及び法務大臣に対する異議申出のいずれの機会においても、原告が政治的意見等の故に迫害を受けるおそれがある旨の供述は全くしていないことが認められ、更に、原告は、他人名義の旅券を使用したとはいえ、現に四回にわたつて韓国に赴いているのであり、その際に何らの危害等を受けたこともなければ、その危険を感じたことすらないことがうかがわれるのであつて、以上の諸事情に照らせば、原告が韓国に送還された場合、前記法律により処罰されることが客観的に確実であると認めるべき的確な証拠はなく、結局、原告の右主張は理由がないことに帰する。
なお、原告は、「難民」の定義については、現代の国際的環境に応じ前向きにとらえ運用されるべきだとして、「基本的人権に対する侵害、自由と生命を危険にさらす客観的状況の犠牲者たる人々」と定義すべきである旨主張するが、難民の地位に関する条約の解釈上無理であることはもちろん、右内容の国際法規が確立されていると認めることもできないから、原告の右主張もまた失当というべきである。
三よつて、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(泉徳治 杉山正己 立石健二)